転勤族サウナ愛好家の小規模な生活

関西出身の熊本在住サウナ愛好家。大学進学でおんせん県、就職し彩の国→かごんま→くまモン県と津々浦々と渡り歩く。二児の父らしい。日々あったことをつらつらと書き連ねていきます。

師匠と僕と、時々、メディテーション

全国津々浦々、どんな温浴施設においてもいるはずであろう常連の爺さん婆さん。時にはサウナ室で仲間と一緒にどこの医者がいいだとか、身体のどこが悪いだとか井戸端会議をし、時には休憩室で息子や娘の愚痴や孫の可愛さを楽しそうに語り合っている。僕はそういう風景を見るのが中々愛おしく感じて好きなのであるが、今回は『師匠』と勝手に呼ばせて頂いているベテランサウナ爺のことを話していきたい。

 

師匠との邂逅は僕のホームサウナである湯らっくすが第1弾リニューアルオープンしたての時であった。当時、熊本のサウナ熱は現在ほど盛り上がっておらず、僕1人で粛々とサウナライフを満喫していたのだが、いつも行く時間帯に必ずメディテーションサウナに入っている老人がいた。それが師匠である。

 

師匠は恰幅の良い体型にスキンヘッド。強面な感じは一切無く恵比須顔であり、いつも穏やかな表情で汗を流している。アウフグースは苦手なのか、大体メディテーションサウナに篭りきりであり、汗を拭う時は必ずタオルで拭くという所作の美しさ。メディテーションに籠る割にはセルフロウリュは自分からせず、サウナストーブをただ見つめるだけである。穏やかな表情や所作で只者ではない!と気付いた僕は敬意を込めて『師匠』と呼ぶことにした。湯らっくすに行き、身体を洗ってメディテーションサウナに入る。すると、いつもの場所に師匠が陣取っているのである。師匠と直接話したことはないのだが、いつしか「今日も師匠は気持ちよく汗流しているかな〜?」と彼の顔を見るのが楽しみになっていた。

 

ある日のこと、いつものように家族が寝静まってから湯らっくすへ行くとメディテーションには僕と師匠の2人だけ。2人だけだし師匠がいる手前、勝手にこっちのペースでセルフロウリュは出来ないな…と思った僕は彼に「水を掛けていいですか?」と話しかけてみた。

「いいよ、好きなだけ掛けなさい」と師匠は快く答えてくれたため、ゆっくりと水を掛ける。すると「君は筋がいいね。いつもこの時間帯にサウナに入ってるね。いいことだ。ただね、もっとサウナを信じなさい。サウナは裏切らない」と師匠が口を開いた。

僕「サウナを信じる?」

師匠「そう。君にはまだサウナへの信念が足りない。筋はいいが、信じないとサウナは助けてくれない。私なんか80歳だが、生まれてこのかた大病を患ったことがない。それはやはりサウナだよ」

僕「ちなみに、どれくらいのサウナ歴があるんですか?」

師匠「数えてないからわからないが、60年近くは入ってるんじゃないかな。心臓が強いのも血圧が問題ないのもサウナに長く入ったおかげ。熊本から昔上京した時にサウナを覚えてね…」

それから穏やか且つ力強い口調で自身のサウナ歴を語る師匠。何回繰り返されたかわからないサウナを信じるというワード。師匠と話したのはそれきりであるが、人に歴史ありというかサウナを愛する老人の想いを垣間見た日であった。

 

その後、湯らっくすの第2弾リニューアルが行われるまで師匠を目にしていたが、第2弾リニューアル後からパッタリと姿を消してしまった。湯らっくすに行く度に「今日も師匠はいなかったな…倒れてなきゃいいけど…」と僕は密かに想いを張り巡らせている。

 

嗚呼、師匠よ、貴方はいずこへ?それとも貴方こそサウナの神様であったのか?僕が貴方ほどの歳になった時にサウナを信じられているのだろうか?様々な想いを胸に今日も僕は湯らっくすに行くのであった…