転勤族サウナ愛好家の小規模な生活

関西出身の熊本在住サウナ愛好家。大学進学でおんせん県、就職し彩の国→かごんま→くまモン県と津々浦々と渡り歩く。二児の父らしい。日々あったことをつらつらと書き連ねていきます。

サウナブームに思うこと

2019年はサウナ界にとって非常に大きな動きがあった年だと思う。何故ならサウナーのバイブルとも言われる『サ道』がドラマ化され、広くサウナの魅力が発信されたからである。

f:id:DDDtenkinzoku:20200105231754j:image(ドラマのサ道。原田泰造さんとセッション出来たのは感慨深かった)

マスコミの力とは凄いもので、僕のホームサウナである湯らっくすでも若者達が「ここに原田泰造が来たんでしょ?」なんて会話を耳にしたことは数知れずあるし、Twitterなんかでもドラマで興味を持ってサウナに入ってみたら凄く良かった!なんて方々も見受けられる。こんな僕のようなしょうもない愛好家にも「サウナ初心者なんですが、湯らっくすに興味があって、教えて頂きたくて…」みたいなありがたいTwitterのDMにてご連絡を頂けることがドラマ放送後に増えたのである。

 

新しくサウナ好きになる人が増えていくことは本当に嬉しいことだと思うし、それに伴って温浴施設に利用者が増えて経営が潤えば本当に良いことだと思う。ただ、一方で僕が危惧していることがある。それは、このサウナブームで新しくサウナ好きになる初心者を馬鹿にしたり、フィンランド式こそが本物で日本式サウナは偽物という排他的文化になってしまわないかだ。

 

この辺りのことは以前のブログ記事にもしたため、気になられた方はご一読頂くとありがたい。

・ドラマ『サ道』放送前に思うこと

https://dddtenkinzoku.hatenablog.com/entry/2019/07/09/154134

 

前にブログに書いたように僕は物事を好きになるきっかけなんて何でも良いと思っていて、サウナに関してもそのスタンスは変わらない。友人・恋人に勧められて好きになったって良いし、ドラマのサ道から興味が湧いても良い。サウナイキタイやサウナタイムなんかのサイトから知っても良いし、著名人・有名人がサウナ好きだから…などなど、興味が湧くきっかけに優劣は無いはずだ。どんなきっかけだろうと、僕は自分の好きなことに友人や家族など近しい人達がハマってくれる・理解を示してくれると嬉しくなる。

 

同じように物事が好きな気持ちに優劣は無いと思っている。どんなことでも、ライトに好きな層もいればヘビーに好きな層もいて、ライト層・ヘビー層の間で愛の深さや重さなどを比べることは本当にナンセンスだと思う。「あの人はヴィヒタすら知らないからおかしい」「サウナを深く愛してないから真のサウナ好きじゃない」「最近ハマったから知識不足。サウナ好きじゃない、にわかだ」「テントサウナのセッティングが微妙だったからサウナ愛がない、サウナ好きじゃない」みたいに言う人が僕の周りにも居る。言葉悪く言わせて頂くと貴方は何様ですか?と言いたくなる。ヘビーユーザーだから偉いということは、この世の中で一つもないはずだ。もちろん、昔から好きな人には敬意を払うが、だからといって初心者やライト層を見下して良いとは思わない。サウナ歴だけで優劣を付けて、5年目が1年目を見下し、10年目が5年目を見下し…という歴が長い方がマウントを取るような文化にはなって欲しくないのである。同じく、行ったことがある施設が多いから・サウナに入る回数が多いから偉いというのも違うと思う。歴や回数だけで判断したり、愛の深さを比較して優越感に浸るのは非常に近視眼的な見方ではないだろうか。

 

また、一部の方々がフィンランド式サウナこそが本物で日本式は偽物という図式を作り上げられるのも非常に違和感を抱いている。確かにフィンランド式のようにロウリュして湿度を保ち、wet and mildなサウナは万人受けしやすいと思う。しかし、日本で独自の進化を遂げた日本式サウナにも良さがあって、決してフィンランド式に劣っていることはないし、日本式サウナを好んで入っている方々もまだまだ大勢居る。このことから、日本式は間違いだ〜偽物だ〜なんて証明するものはないと思う。

 

この行為を例えるなら、犬が好きな人が犬の良さをアピールするのに猫を引き合いに出し、猫は懐かない・爪を立てる…など貶して相対的に犬を上げるような行為に似ている。何かを上げるために何かを下げる行為は愚の骨頂だと思う。もちろん、人間だから好き嫌いはあるのは当然だが、だからといって日本式は間違い、偽物と断言するのは如何かと思う。もちろん、サウナを広めようと尽力されている方々の行動力には敬意を払うが、排他的ではなく多様性がある文化になって欲しいのである。僕もブームから文化になって欲しいと思うのだが、その結果として排他的な文化になるならならなくて良いと思う。

 

ただ、矛盾するようだが、新しくサウナを知るに人が増えると中にはマナーが悪い人も増えることもあるという部分は確かに僕も嫌だなぁと思っている。しかし、それは我々のような先にサウナを利用してる愛好家が丁寧に教えてあげたらいいのではないだろうか?水風呂に入る前に汗流しカットする人を見かけたら「みんなで利用するから汗は掛かり湯で流そうね」とか、サウナで煩すぎたら「話していいけど、声のボリュームは迷惑になるから考えよう」など諭してあげたらいいのではないか。我々、サウナ好きが丁寧に教えたら尚更マナーが向上し、もっと万人が気持ち良く利用出来る環境になるかもしれない。頭ごなしに怒ったりしないのが前提だし、客同士のトラブルになる可能性もあるから線引きや塩梅が難しいところはあるが…

 

何度か僕も湯らっくすにてヴィヒタを見て「何やあれ?」みたいに話していたり、セルフロウリュの仕方がわからないような若い子達に教えてあげたりしたことがあるが、ほとんどの場合、こちらの教えることを聞き入れてくれる。(僕のレクチャーが上手いのではなく、彼らの器が大きいのであろう…)知らない人には優しく丁寧に接して上げるのはどの業界においても必要なことじゃないのかなぁと思うのである。

 

色々と昨今のサウナブームと呼ばれる流れに対して個人的な想いを長々と書き連ねてしまったが、サウナ好きが増えて温浴施設・業界が盛り上がれば僕は嬉しいのです。決して排他的な流れにならず、初心者をバカにすることもなく、フィンランド式・日本式サウナのそれぞれの良さを多くの人が体感出来る様になれば、本当に素晴らしい文化になるだろう…と唯のサウナ好きとして思うのです。